『共有性環境の』構築に関する覚え書き

  • 2012-12-23 吉川信雄

最近のアート環境の座標軸を見ると、伝統か革新かという軸は旧来通りでありながら、環境構築の共有性をはかる座標軸がぼやけてきている。

たとえばジョットの作と言われてきた聖フランチェスコ大聖堂のフレスコ画について考えてみる。なぜ唐突にジョットを引き合いに出したかというと、数年前イタリア旅行でアッシジを訪れた時のことが印象に残っていたからである。アッシジの聖フランチェスコ大聖堂でジョット作と言われるフレスコ画を見たいと思っていたのに、あいにく地震による建物破壊のため修復工事中で、見ることが出来なかった。そういう無念さは後を引くもので、何かにつけて、そのフレスコ画の写真を見ては、イメージをふくらませていた。研究者ならば、一つのテーマに沿って、系統だった研究方法でアプローチしていくのであろう。しかし、私のように感覚で捉える人間にとっては、経験こそが一番のアプローチ法になる。そしてそのちょっとした行き違いがきっかけになり、とんでもない方向から事物を見つめることになる。あたかも実物を見てきたかのような錯角が、脳裏を刺激するのだ。

そのジョットのフレスコ画についてであるが、これが実際ジョットの作であるかどうか、現在では非常に疑念が持たれているのであるが、その真偽はさておいて、大聖堂の中に入らなければ見ることが出来ない。いずれにしてもこれは厳粛な宗教画である。心を空しくして神に対峙する時の緩衝剤である。しかし一方、これはルネッサンス時代の有名な芸術作品でもある。

それでは、私は、どういう方向からこの壁画を捉えたのか。

笑われるかもしれないが、現代作家のゴムリーの真逆の方向から、と言える。繰り返し、繰り返し、同じ彫像を並べていく作業である。多くの人間たちが、同じ場所で、何時間でも同じことを繰り返して作り出していく芸術作品。これは私自身がゴムリーのもとで経験したことであるが、肉体が疲労困憊しながらも、精神は高揚し、一つの環境のなかで共有性を構築することの快感と達成感を覚えたものだ。ジョット作といわれるそのフレスコ画から受けたものは、イタリアという国、アッシジという地方、ルネッサンスという時代の名残、聖フランチェスコ大聖堂、そういったもので括られる場所から大きく逸脱した、自分の立ち居地の存在だった。共有すべき環境がない、共有すべき空間がない、共有すべき人間がいない。断じてそうであってはならないのだ。

自分は今、『共有性環境の』構築に関する覚え書きを、文字ではなく、

映像でしたためなければならないのだと思う。

ヴェナンツォ・クロチェッテイ

  • 2012-12-23 吉川信雄/吉川由香子

 ヴェナンツォ・クロチェッテイ(1913~2003)の生誕100年を記念した展覧会が、箱根の彫刻の森美術館で開かれた。(2012・3/30~6/3)

クロチェッテイは、日本では何度も個展で紹介されたり、その作品があちこちの美術館や公園に展示されたり設置されたりして、日本人にとってはかなりなじみの深い作家である。所蔵作品も、母国イタリアに次いで日本が一番多く持っている。クロチェッテイがなぜそんなに日本人に受けるのか。アンナ・インポネンティの捉え方が面白い。①かたちの美しさ、動きの緊張と素早いリズム、人体のやすらぎの表現が浮世絵画家たちを思わせる。①生きる姿勢、制作態度が、かつての日本の芸術風土と共通する。②粘土の原型の制作から鋳造への念入りな差配、丹念な仕上げ、などといったやり方は、禁欲的で練達した職人かたぎの日本の芸術家を彷彿とさせる。などといった理由をあげている。確かに、20世紀に活躍したイタリアの彫刻家の中でクロチェッテイは、日本では大変もてはやされているにも関わらず、本国のイタリアでは再評価される時期は遅かった。イタリアで再評価されるのは、日本のコレクターが評価した時期とほぼ同じ時期である。

イタリアの伝統的な自然主義を踏まえた新しい具象彫刻の主体となったロッソ、マルティーニの流れを汲む多くの彫刻家たちのなかで、クロチェッテイもまた、マルティーニを師とし、その線上にあって、純粋な抽象形態には向かわないで、新しい具象へと向かった作家の一人だった。

20世紀の最初の1910年前後に生まれた、マリーニ、マンズー、ファッツィーニ、マッザクラーティ、グロッソ、グレコ、クイント・マルティーニ、メッシーナ。彼らもまたクロチェッティと同様に、共に、ロッソ、マルティーニに色々な意味で深く関わりながら、同時代にあって互いに刺激し合って、今日のイタリアの具象彫刻を発展させていった作家たちであった。彼らのほとんどが、ファシズムへのレジスタンスの表現に関わった作品を創作している。例えば、マリノ・マリーニ(1901~1980)が1937年に制作した「馬上の騎士」や1936年に制作した「騎士」は、抑圧されたファシズムに対する苦悩を、また、ジャコモ・マンズー(1908~1980)の「キリストの磔刑」(1939)という浮彫ではナチスのヨーロッパ侵略の恐怖を表現している。マッザクラーティ(1907~1969)の浮彫「無謀な虐殺」(1941)ではファシストのムッソリーニを表現し、ベリクレ・ファッツィーニ(1913~87)の「銃殺」(1944)もまたレジスタンスを表現している。

一方、クロチェッティのファシズムや死に関係するテーマは、今回展示された作品の数点からも見て取ることができる。1938年に制作された「お前が見た幻想」は、牛にまたがる三人三様の形態である。先頭の一人は牛の角を両手で握りしめ牛を御している男、真ん中で姿勢正しく牛に跨っているのは衣を着たガイコツ、後ろでのけぞり顔を覆っているのは裸の女性。年代的に見ると、この作品の恐怖感はファシズムによる戦争が多発していた時期でもあるので、おそらくその死の恐怖を表していると思われる。1987年に描かれた「平和の騎手たち」という一連の習作と比べると、人間と動物を配したこの二種類の作品の差異は、作家が生きてきたその時代、時代、における作家の偽らざるヒューマニズムの発露と見ることができる。また、「銃殺された人々」(1948)は1944年に実際に起きた、ドイツ軍によるイタリア人殺害の事件を題材にしている浮彫である。長方形のブロンズ板の左端の一人はのけぞり、その隣の男は前のめりになり、今にも崩れ倒れる寸前の形態。そしてその右側の二人の男たちもまた銃殺された瞬間の、後ろ向きともう一人は斜め前向きの形態であるが、右側の浮彫は、左側の人物の深浮彫と比べると浅く、薄浮彫になっている。特に中央右の背面の男の粗い浮彫は、一見未完成のように見えたり、また一見わざと、見る者の心を不安定にさせようと、作者が試しているようだったり、見る者にとって解釈し難い造形になっている。ところが、有難いことに、この造形について作者のクロチェッテイ自身が説明を加えている。今回の展覧会のカタログに寄稿されている上村清雄の引用文によると、次のような説明である。「戦争とレジスタンスを表す三人の人物像に、より抽象的な絶望の象徴となりえる第四の人物像を加えることを考えました。ひとときの問いかけなど意味をなさない、存在に苦しむかのような、自らの体を包み込む、ひとつの石を思わせる、男の人物像です」。(註 Venturoli,op.cit.pp.26 29)この説明は明解であり、それ以上の説明を求めるならば、この浅浮彫の技法はドナテッロの影響だという説はあるにせよ、見る側自らが、このブロンズ浮彫そのものから推して理解しなければならないだろう。また、1947年に作られた「瀕死の騎手またはパルチザンの男」もまた、ムッソリーニの政権下でファシズム体制に抵抗し戦ったパルチザンの一人の男が、後ろ手に縛られ転がされて瀕死状態になっている姿を表している。台座からはみ出た右足の人差し指と中指の、皮が剥けたような肌色が痛々しい。しかしこの彫刻からは死を前にした哀れな男の姿というより、男の無念さと悔しさと共に、最後までファシズムに抵抗していこうとする男の強い精神を感じ取ることができる。こういう男たちの犠牲が単に犬死で終わるのではなく、この抵抗により、暗い時代からやがては抜け出し、明るい時代を迎えるのだという、クロチェッティの強い意志を感じさせる作品である。

1945年制作の「火事」と「地震」は、本人の体験に基づくものではないようであるが、迫り来る災厄に遭った時の人間の恐怖感と緊張感をダイナミックに表現している。これらの作品は一連の戦争と死にまつわるモチーフとは異なっていても、絶体絶命の瞬間の体全体から発せられる人間の叫びは変わらず、あってはならないその恐怖感を、クロチェッティは彫刻という一瞬の時間に押し込め、人間の永遠の課題として提示している。

「彫刻が生きている」ということはまさにこの永遠に止まってしまった時間が、見る側がそれを見ることによって、その時間が動き出し、見る者に語りかけてくるからなのであろう。クロチェッティの彫刻の中で、「海辺を歩く少女」という2mを超える作品がある。これは1985年~1993年に制作された彫刻であるが、実は1934年の「岸辺の娘」が、裸体に帽子をかぶり、唇に微笑をたたえた同じモチーフで作られている。また、1969年の「岸辺で会釈する少女」は上半身だけが裸でスカートをまとっているが、裸体でつばのある帽子をかぶっている形態は同じである。約半世紀もの年月を経てもなお作家のモチーフとして生き続けきたこと、また37年も前の1948年にもすでに「海辺を歩く少女」の習作が作られていたという事実は、クロチェッティがこのモチーフに並々ならぬ愛着を持っていたからにほかならない。またクロチェッティにとって、この少女のモチーフは、彼の中の永遠の時間に生きている真に大事な存在なのであろう。

クロチェッテイはイタリアルネッサンスの代表的な彫刻家ドナテッロ(1386~1466)から様々な影響を受けていると言われているが、クロチェッテイの「マグダリアのマリア」(1956)は、ドナテッロの「マグダラのマリア」を彷彿とさせる人間性への深い感覚と情念を感じさせる。右足を前に出して、頭を垂れ、顔を両手で覆ったマリア。顔の表情はわからないが、前傾のうなだれた身体全体から、深い悲しみと嘆きが聞こえてくるようだ。丸めた背中が、襤褸をまとい長い髪の毛を垂らしたドナテッロのマグダラのマリアの背中と重なって見える。この作品はキリスト教的ヒューマニズムの流れを汲みながら、愛や生や死をテーマとする彼の作品制作の象徴でもある。

クロチェッティには、女性像や動物のモチーフが多い。動物のまろやかさ、女性のしなやかな曲線は、ルネッサンス美術を思わせ、イタリアの伝統を受け継ぐクロチェッティならではのフォルムである。また「受難の十字架」(1954)や教会の礼拝堂の修飾などといった宗教的なテーマの作品も多く制作している。

自然の形態に因りながら、彼の作品の大部分は深い内面を籠めた普遍的な形態へと昇華している。全体に漲る躍動感、眼と眼が離れているといったような人物の個性的な表情、また、中期以後の多くの彫刻の表面に見られる無数の短冊形の接ぎ貼りなどは、特異な表現であり、作者にどういう意図があったのか、謎めいてもいる。

参照「Venanzo Crocettiカタログ」彫刻の森美術館編

  「イタリアの近代美術1880~1980」井関正昭著

「芸術作品」対「社会現象」シュタイナーに見る色彩・造形の意味

  • 2005-12-21 東京医科歯科大学・保健衛生学研究科
  • 生体機能支援システム学 医療情報学合同講義より

 ドイツのルドルフ・シュタイナー(1861~1925)は,芸術家として,教育者として,また人智学者として,多くの人々に影響を与えました.

 1920年代にシュタイナーが描いた黒板絵があります.これはアートを目的として描かれたものではなく,シュタイナーの弟子たちや,農民や労働者たちを対象に,500回~600回の講義を行った際その内容を説明するために描かれたものです.その黒板絵には,シュタイナーの色彩や造形に対する象徴的な考え方が具体的に表現されています.そしてその考え方は,ボイスやモンドリアンに大きな影響を与えました.
 シュタイナーの色の使い方は,プリズム色環で,調和と対立の原則を説いたゲーテの色彩論が下地になっています.例えば,「黄色は光に最も近い色で,闇に対抗している.黄色が闇に近付くにつれてオレンジや赤が生じてくる.青は闇に最も近い色なので,黄色と青は,光と影の対立である.また,黄色と赤は,明朗と華美の対立.赤と青では,能動と受動の対立である.」といった基本法則です.ゲーテはこの色彩論を物理学に応用しニュートンと対立しましたが,シュタイナーは物理的な応用ではなく,内的・主観的な知覚による色彩論を打ちたてました.
 黒板絵の中にある「大地のリズム」というドローイングでは,赤い花の植物が大地に植えられています.その植物の球根も赤い色です.そしてその植物の上から黄色い矢印が降り,地上からも黄色い矢印が立ち上がっています.この黄色い矢印は,ひとつは太陽光線を表し,もうひとつは大地からのパワーを表しています.赤い花と球根は,成長という能動的な意味をこめた赤い色を表しています.このドローイングにシュタイナーは次のような文章を添えています.
 「植物は光に誘われて,大地の重力を克服します.そして光を求め,受精を願って成長し続けるのです.ですから人間は,大気を呼吸し,受胎に際しては,宇宙の生命を移しこまれるのです.」つまり,人間は宇宙の大きなリズムのなかで生きているということを,大自然のリズムを例にとって人々に説いているのです.これが描かれたのが1920年代ですが,その時代も今と同じような状況にあって,破壊されつつある地球上の自然環境にひとつの警告を発していることがうかがえます.黄色い矢印が,ここでは地球上の人間に対するメッセージとも受けとめられます.シュタイナーにとって,矢印は,色彩と同じくらい重要な意味を持っています.矢印は,生成と物体を結ぶものとしてあるだけでなく,その相互関係と,そこから生じるエネルギーが,あらゆるものの発展へと導いていくことを,表しているのです.1922年の東西会議で,シュタイナーが十字の関係を説明したことがあります.十字の縦が,「精神」と「物質」の関係で,十字の横が,「西洋」と「東洋」の関係を表し,精神も物質も,東と西(政治的,経済的,文化的面で)の関係も,お互いに相関関係にあること,そして,お互いに作用し影響し合うことが重要であることを矢印を使って説明しました.

生命回帰のアート 映像と芸術の関係

  • 2003年 CG入門 (丸善株式会社) 原稿スケッチより

モザイク画からCGへ

古代エジプトの時代の装飾品のなかに、宝石やガラス、木や貝殻などを散りばめて絵画や模様を表したものが多く見られます。これがいわゆるモザイクといわれるものです。古典的絵画のなかでは、特に、教会の床や壁画に描かれたモザイク画が一般的に知られています。このモザイク画では、一つ一つの小片が一情報単位であり、個々の情報単位の総計によって全情報が与えられるようになっています。つまり、モザイク画の造形的信号はデジタル情報から成り立っているのです。一つ一つの小片の組合せ方は、色彩と形によって正確な確立規則に従っています。たとえば、人体や自然をモザイク画で描こうとします。すると、まず造形上の慣習に従って輪郭を描いていきます。この輪郭は、小片で限られていますが、色彩単位によって特徴つけられています。あとは造形的慣習によって、一定の比率と情報を備えた造形メッセージに従って、様々な形姿を描いていくのです。モザイク画とは、こうして小片を信号として処理し組織化する最もプリミティブなデジタル絵画とも言えるでしょう。

1960年代に、このモザイク画の造形的信号の手法を使って巨大な肖像画を描いた作家がいます。アメリカのチャック・クローズ(1940~)という作家です。写真の上にマス目を引き、引き伸ばし、一区画ごとにその画像を自ら定めた制約の範囲内で描いていくというのが特徴です。マークという人物のポートレートを使って実験を行った「マーク/プログレッション」という作品があります。これは、一枚の写真をカラー別のフイルムに分解し、赤、青、黄、それぞれのインクで単色の「マークのポートレイト」置き、同列に、2色、3色重ね合わせた“マーク”を色に手を加えながら並べています。また、「マーク/フインガープリンティング」では、キャンバスの上に何千何万という指紋を押し、モザイクのような色の置き方でマークを描きあげています。彼はマークのポートレートだけでなく、女の子や男性のポートレイトも手懸けていますがその手法には、その他に、手製の紙パルプの小片で形造ったり、くもりガラスを通して見たようなラフなモノトーンで陰影を形造ったり、と様々なデジタル手法を試みています。1995年に制作した「セルフ・ポートレイトⅡ」では、大きめな格子状の一つ一つの中に、色様々なホットドックに似た形をつめこみ、水滴を通して屈折したような肖像画を描いています。

チャック・クローズの手法は、人間の感情や表情さえも符号化できるのではないかと思わせるほど、色彩や線、面の視覚描写に徹しています。肖像画の性格を、そこに描かれた人物の表情に感じるのではなく、色や形や線から情報を得て感じればいい、というクローズのとらえ方は、60年代、70年代のミニマリズムに近いといえるでしょう。しかし、もう一方で、チャック・クローズの存在は、デジタル芸術の路線の中に、独特なスタイルで位置ずけられています。

チャック・クローズのように、一貫してモザイク状の形体で作品を作っている作家とちがってサルヴァトール・ダリ(1904~1989)は、ありとあらゆる手法を駆使して作品を作り続けた作家ですが、1974~76年に制作した「20メートル離れるとアブラハム・リンカーンの肖像に変容する地中海を見つめるガラ・・・ロスコへのオマージュ」という長いタイトルのついた絵画は、手法としてモザイクを使っています。

ダリがなぜその絵画にモザイク状を用いたのかという理由を詮索する前に、ダリが、3次元世界のホログラフィーに大変興味を持ち、実際にホログラフィーによる作品を作っていたことに注目しなければならないでしょう。ホログラフィーとは、被写体にレーザー光線を当て、特殊加工されたガラス板に記録、これにレーザー光などの波長の一定した光を当てると、立体像が現れる仕組みのことをいいます。ダリが初めてホログラフィーを発表したのが、1972年でした。その当時まだ小さいサイズのホログラフィーしか作るテクノロジーはありませんでしたが、ダリは近い将来どんな大きさにも対応できる技術が発達し、現実には決して存在し得ない、奥行きの深い作品をアトリエで作り出すことができることを信じ、希望に燃えていました。しかし1975年以降、ダリはぴたっとホログラフィーの制作をストップしてしまいます。その理由の一つは技術がなかなかダリの思うような進歩を遂げなかった点にあります。そこで1974年から76年にかけて取り組んだ長いタイトルの絵がモザイク状に作られている秘密が解けるはずです。ホログラフィーの手法で3次元の世界を実現させ、どの角度からも観察することのできる風景を作り出すことに失望を感じたダリは、モザイク状の部分から全体へと確立していくデジタル手法を平面上に実現しようとしたのです。部分から全体へ、というモザイク的発想は、1977年の「ガラと神聖なワイン」という作品にも現われます。この作品の中には無数の葡萄の房がガラを取り巻くように描かれています。その葡萄の房の一粒一粒にガラの同じポートレートが映っているのです。ここではガラの映ったその一粒一粒の房がこの作品の個々の情報単位になり、全体を作り上げているということになります。

ダリが立体鏡的コラージュを初めて大きいサイズで描くことができたのはダリが亡くなる一年前のことですが、ダリが追求してきた立体鏡的ダブルイメージはCGの発達によってずいぶん身近なイメージになったことは否定できません。

個から全体へと情報が広がり、遂には一つの宇宙空間を作り上げるモザイクの世界は、現代になって、いよいよ2次元から3次元の世界へと入ってきました。モザイクの一片はもはや宝石やガラスのような、手で触ると手応えが還ってくるようなものではなく、手で触っても触覚のない仮想空間へと変容してきました。けれども、その仮想空間は、隅々まで数値化され、色彩や形体の一片のモザイクの中には、表情までがインプットされ、たとえば、笑いや怒りの表情でも、程度の異なる表情が生成されるようになりました。

絵画の表面が皮膚化され、キャンバスの裏側には筋肉や骨格が形成され、観客のいろいろな動きに呼応して、一片のモザイクから全体へ向けての司令によって、表情豊かな緻密な動きをするようになる時もそう遠くはないでしょう。

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